北海道沿岸に残る戦争が生んだ異景
戦争末期に築かれたトーチカ
風化が進行するトーチカ群
陣地の構築作業には多大な労力を費やした。とはいっても、時間にも物資にも余裕があるはずもない。将兵たちに加え、地元住民も動員されて人馬での資材運搬や、土砂や水の採取などで協力したという。
トーチカは巨大な穴を掘って床を張り、木枠を組んでコンクリートを流し込んだ。1基あたり1週間ほどの突貫工事で次々と完成させていった。作り方はある程度現場の部隊に任せられたので、丁寧に仕上げて現在でも状態の良いものや、大石が混じった粗いコンクリートで雑に作られたものなど、個体差が興味深い。
現在も良好な状態でトーチカ群が現存する根室半島での設計担当者は陸軍元帥大山巌の次男、大山柏少佐だった。昭和3年(1928)に退役後、貴族院議員、考古学学者として活躍していた少佐は、50歳代で再召集され昭和18年(1944)12月根室に着任。1年4ヶ月にわたって陣地構築に携わった。その模様を詳細に記した興味深い陣中日誌などの文献が残されている。
また、とある陣地近くの住人に聞くと、完成後は「やることがないのか、年端もいかない十代の若者が四六時中整列させられては再召集の老兵によくビンタをされていた」と話す。どの場所でもとくに初年兵にとって軍隊生活は厳しかったようだ。
戦後占領軍による武装解除が行われたが、脅威になりそうもない規模のトーチカは破壊を免れた。土をかぶせ草を植えて偽装し、銃眼と出入口だけを覗かせていたトーチカの多くは、土砂の採取や自然の力で露出し、長い年月を経て風化が進行している。
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